小林 英司 (コバヤシ エイジ)
プロフィール
こんにちは小林英司と申します。
新潟県の白根という所で生まれ育ちました。お米もおいしく、洋梨のルレクチェ発祥の地です。
昔から体を動かすのが好きで、小学校から高校までバスケットボールをしていました。
旅行に行くのが好きです。中でも関西圏が好きで滋賀、京都、大阪、兵庫など色々なところに行きました。
漫画やアニメも沢山見ています。「けいおん!」というアニメが好きで、影響されてギターまで買ってしまいました。
漫画では、「よつばと」が好きで何度も読み返して癒されています。
高校生の時にバスケットボールの過度な練習でシンスプリントになりました。
脚の使い過ぎからなるもので、走ると脚のすねのあたりに物凄い痛みがありました。
指の骨折などは何度か経験していましたが、脚が痛くて走れなくなるというのは初めての経験でとても辛かったです。
そんな時、お世話になった接骨院の先生がとても親身にしてくださいました。
親身になってくれたのも嬉しかったですが、脚も治してもらって試合の日も院の営業時間の前に施術してくださったのを覚えています。
そのとき、私はこんな先生のようになろうと決めこの職を志しました。
今まで一番嬉しかったことは、国家資格の柔道整復師の資格を取得できたことです。
私は昔から勉強が得意な方ではなかったのですが、憧れの先生のようになるため専門学校に入学してからは必死に勉強しました。そのかいあって今、患者様の前に立たせてもらっています。
お悩みの症状に全力で向き合いますのでよろしくお願いいたします。
私は、昔の私のように苦しんでいる方を治すのはもちろんのこと、心から寄り添ってサポートしたいと思っています。治すだけではなく、心から信頼してくれるような医療従事者になりたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
誠心誠意施術させていただきますので信じていただければ幸いです。
小林 英司
鎌田 隼人 (カマダ ハヤト)
プロフィール
こんにちは。鎌田 隼人(かまだ はやと)と申します
自己紹介
岩手県の盛岡市からきました。
趣味は、料理で得意料理は唐揚げと、豚汁です。最近は魚料理のレパートリーを増やしたいと思って試行錯誤しています。お勧めの料理があったら、教えてください。また、バスケットボールも大好きで、Bリーグの試合などもよく見ています。特に千葉ジェッツが大好きです!
ストーリー
高校卒業後、地元にある整骨院の専門学校へ進み、3年間、国家試験合格のため仲間たちと、多い時は1日10時間の猛勉強の末に現役合格を勝ち取ることができました。
専門学校を卒業した私は、無事に国家試験合格となり、治療家としての第1歩を踏み出しました。
きっかけ
私は小学校2年生の時からバスケットボールを約10年間やっていました。その間、足首の捻挫や、オーバーワークによる腰や膝の痛みに悩まされていました。試合に出たい想いは誰よりも強かったですが、その想いに反して、故障によって出場機会を失いとても悔しい日々を過ごしいていました。
そんな時に、近くの治療院の先生に施術してもらい、状態が良くなり、試合出場できるようになりました。この経験から、自分もケガや痛みに悩む人の手助けがしたいと考えるようになり治療家を志しました。
想い
身体が痛い、夜も眠れない、仕事や家事、趣味の妨げになって困っている、気にせず日常生活を送りたい
そんな困っている時に先生に治して欲しい、お話を聞いてほしいと思われるような治療家になることが、私の目標です。そのためには研鑽と努力を惜しまず、日々知識と、技術の向上に努めたいと思います。
勇気を持って来院して頂きましてありがとうございます。初めて行く場所は勇気が必要だったかと思います。
勇気を持って来院してもらった以上、私の命を削ってまでもあなたのことをサポートしたいと思います。
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございます。
鎌田 隼人
三船 丈晴(ミフネ タケハル)
《保有資格》
国家資格柔道整復師
プロフィール
1978年(昭和53年)11月22日に産まれました。
東京の渋谷という場所で産まれました。
幼少期から身体を動かすことが大好きで野球、サッカー、バスケットボールと一生懸命遊で
ました。小学校から父の仕事の影響で東北の秋田県へ引っ越してから野球部に入り、野球の
楽しさにドップリ浸かりました。その後も中学、高校と野球を続け高校では「甲子園へ行き
たい」という思いで地元でも有名な強豪高校へ進学しました。
◆過度な練習で「椎間板ヘルニア」を発症と決意
高校へ入り過度な練習で私の腰は「椎間板ヘルニア」を起こしました。
練習を休んだらレギューラーはとられる、ポジションはとられる。こんな思いから痛くても練習をせざるをえない状態になってました。再度、整形外科を訪れ医者からは手術しかないと言われ途方にくれました。
私の腰は悲鳴をあげてかばって練習をしていた私の膝にも水が溜まり普通に歩けない状態でした。
知人の紹介で街にある整骨院へ行きました。田舎なので整骨院も数えるくらいしかなくそれでも評判の1件へ通ってました。しかし、そこの整骨院の先生は親身に対応してくれることなく、もちろん私の腰も膝も治ることもなく「こんな先生は嫌だ」と思いました。
18歳の私は絶対こんな先生は嫌だ!と強く思いました。それから私は「絶対治せる整骨院の先生になる!」と決心しました。
◆「治せない治療家は治療家ではない」という言葉をモットーに猛勉強
整骨院の先生になるには国家資格が必要みたいで専門学校へ行かないといけません。それが当時東京にしかなく高校卒業後にすぐに東京へ来ました。
実は入学するのも大変で猛勉強の末、無事に入学することができました。入学してからも大変で学校が夜間のクラスだったので日中は整骨院や病院で働いて夕方からは学校へ通ってました。
その後も「治せない治療家は治療家ではない」という言葉をモットーに猛勉強しました。
ヘルニアや膝の手術があれば積極的に見学させてもらい、どうしたら手術以外で治せるか考え執刀医に「レポート」を提出し探求しました。
病院勤務後は海外(ニュージーランド、アメリカ、メキシコ)でも仕事の機会がありましてこれもまた今の治療家の財産となっております。
◆武蔵新城で開院、身体つくりをサポート
2010年5月に武蔵新城というこの場所で無事に自分の院を持つことができました。
自身がヘルニアだったり膝の疾患を持ってる私だからこそ患者様が顔をしかめ、「痛い」「ツライ」「不安」というのが痛いほどわかります。本当にツライですよね。
患者様が10年後も元気にいられるよう身体つくりをサポートさせて頂きますのでどうぞよろしくお願いします。
最後まで読んで頂きまして誠にありがとうございます。 三船 丈晴